集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


渓流読書記


HP『山さ行がねが』
 廃道や廃線を探険したレポート。奥多摩、現在の日原街道は川の左岸にありますが、古道は右岸の絶壁をくり抜いた険しい道でした。今は崩れてしまったその道にアタックします。題名で検索してみてください。

ツュンベリー 『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫
 著者はオランダ商館長の侍医で、日本の風土や習慣について書いています。植物の種の収集にも熱心でした。長崎から江戸に参る途中、箱根で鱒類を食べています。ヤマメの粉末は婦人の肺病に効くと言われていると記しています。

鈴野藤夫 『魚名文化圏 ヤマメ・アマゴ編』(東京書籍)
 多くの古文献を渉猟し、各地のヤマメ類の名称と、それにまつわる山の文化を詳細に記述してあります。享保年間、伊勢は鈴鹿湯の山であまごを蝿頭で釣るとの記述があります(天野信景『塩尻』)。

幸田露伴 『幻談』(岩波文庫)
 私は渓に落ちている竿はどうしても拾って使う気がしない。物には使っている人の念がこもっているようで、ちょっと怖ろしい。

井出孫六 『信州奇人考』(平凡社)
 飯田の水引・佐久の鯉・軽井沢の落葉松など、信州の風物とそれに関わった人々について書かれています。鯉というと、丸々太ったのを鯉こくや洗いにするのかと思っていましたが、田圃で育てた15〜6センチの1年魚を秋に獲り、焼き枯らして料理したということです。

エドワード・グレイ 『フライ・フィッシング』(TBSブリタニカ)
 釣り指南書というよりは、フライフィッシングに対する思いを、静かにそして熱く語った随筆です。大物を取り逃がしたとき、これから先これほどの大物にはもう絶対に出会えないと絶望し、また神はどうしてこんな辛い試練を与えたのかと空を仰ぐ、と書いてまして、本当によく釣り人の心持ちをいい当てております。

金森直治 『浮世絵 一竿百趣 水辺の風俗誌』(つり人社)
 江戸から明治期にかけての、釣りの風景を描いた浮世絵を集めた書物です。笛巻きの継ぎ竿や、テンビン仕掛けなども出てきます。それぞれの絵には、詳しい説明がついております。そして文末には、筆者の一句が付されていて、これがまた良い雰囲気で。

田辺陽一
『アユ百万匹がかえってきた いま多摩川でおきている奇跡』(小学館)
 私が幼い頃の多摩川は、合成洗剤の泡だらけでしたが、下水道施設の整備によって、ほんとうにきれいになりました。環境はだんだん悪くなるのはしようがないという考え方ではなく、目標と方針を立てて実行すれば、改善するということが証明されたよい実例だと思います。

古川古松軒 『東遊雑記』(平凡社東洋文庫)
 江戸時代の、東北・北海道地方の旅行記です。疝気(下腹痛)を治すには、鱒類(ヤマメ・イワナ)を丸焼きにして食い尽くすのが良いそうです(山形・小国での話)

アーネスト・サトウ 『日本旅行日記』(平凡社東洋文庫)
 明治初期の英国人による紀行文で、関東・中部地方を主として旅行しています。下記のバードに較べると、淡泊な書きぶりです。自分がかつて行ったことのある場所については、じっくり読むのですが、その他は読み飛ばしてしまうのでありました。黒部にて毛鉤で釣った岩魚を食ったとの記述があります。

イザベラ・バード 『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫)
 明治初期、英国人女性の東北・北海道旅行記です。昔は、蚤が本当に多かったようです。また義経信仰は、アイヌ人のものだったのですねえ。外国人ということで、どこでも見物人が集まって迷惑したとあります。私もその当時に生きていたら、見に行くだろうなあ、テレビなんてない時代だし。

前田栄作 『尾張名所図会 絵解き散歩』(風媒社)
 江戸時代の図会と、その場所の現在の姿を載せ、説明を加えています。名古屋に長いこと住んでいましたので、懐かしく読みました。私は生まれ育った町より、名古屋に対して、故郷とするほどの思いがあります。渓流に関係する書物ではないですが、ちょっと載せておこう。

司馬江漢 『江漢西遊日記』(平凡社東洋文庫)
 江戸の画家、江漢先生の長崎旅行記です。鈴鹿の湯の山にも寄り、その様子が詳しく書かれています。私もよくこの地を訪れたので、面白く読みました。今はいませんが、当時は熊と狼が湯の山付近に姿を現したそうです。そうそう、江漢先生は女性が気になるようで、美人だとか、あんまりとか、批評しながら旅しております。

小島千代蔵 『飛騨の伝説』
 神岡の岩魚は、人に化けるらしい。六厩の奥には、山姥が住んでいるそうだ。河合の河童は、魚を届けてくれるとか。

瓜生卓造 『多摩源流を行く』(東京書籍)
 多摩川源流、丹波川の丹波山・一之瀬・小菅について、実際そこに暮らしてきた人々からその生活を聞き出し、レポートしています。明治時代、泉水谷には岐阜の炭焼き50世帯が入植、しかしその後の大水で離散とのこと。山村の生活の厳しかったことが知られます。他の著作に、『奥多摩町異聞』『檜原村記聞』もあります。

山田早苗 『玉川泝源日記』(慶友社)
 川を見て、この水はどこから流れてくるのかと、想像する人は多いかもしれないが、実際に出掛ける人は少ない。しかしここに、多摩川の水源を見届けた行動の人がおりました。山田早苗は、天保13(1842)年、険阻な幽谷を遡り、その水源である三条河原付近に辿り着き、この紀行文を記しました。このとき齢七十、いやはや元気な御仁であります。

つり人社編集部 篇 『つり人渓流フィールド「奥多摩」』(つり人社)
 渓流の釣り場案内だけではなく、その土地の歴史や風土について詳しく書かれております。また、竹竿に電車釣行といった往年の釣り事情にも触れており、ただのガイドとしてだけではなく、読み物として興味深い内容になっています。モータリゼーションのお陰で便利にはなりましたが、魚影が濃くて、なおかつ味わい深い釣行はできなくなってしまったのかもしれません。

藤沢周平 『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)
 家督を譲り、隠居した清左衛門は、再び釣りを始め、藍の軽衫に草鞋履き、頭に菅笠、腰に脇差という出で立ちで、三日に一度は、城下の川に通うのでした。家老一派の陰謀から藩を救った、この御仁の見識と行動力は見事なもので、近づきがたい孤高ささえ感じてしまいます。しかし、ウグイ三尾・鮎二尾を、空前の釣果として、意気揚々と帰る様子を見るにつけ、親しみの情を覚えずにはいられません。

柳田国男 『山の人生』(岩波文庫)
 山姥・山男・山童・神隠しなど、山にまつわる怪異な人々の伝承を、集めたものです。私が竿を振る、奥三河・奥美濃の山々のお話も、載っております。山女というのがいるそうで、赤髪にして眼は鏡のごとく、裸体に腰蓑、夜、山中で焚き火をしていると、いつのまにかやってきて、火にあったって、にこにこ笑っているとのこと。一度、会ってみたいものです。

宮脇俊三 編 『鉄道廃線跡を歩く』(JTB)
 釣りをしていると、目の前に、朽ちかけた小さな石積みの橋脚が現れました。こんなところに道はなく、はて何のための橋だったのかと、疑問に思っていたところ、昭和30年代まで、ここに森林鉄道が走っていたことが、後日わかりました。竿を休めて橋脚に坐れば、車輪のきしむ音と杣人の明るい声が、どこからか聞こえてきます。

幸田露伴 『太公望・王義之』(新潮文庫)
 釣り師のことを、俗に太公望と呼びますが、その太公望が、どこのどんな人であるのかを、詳しく考証した随筆です。露伴は、みずから「露伴老漁」と号するように、釣客でありまして、釣りに対する深い愛情をもって、筆をとっております。

泉鏡花 『高野聖』(岩波文庫)
 渓流沿いに、峠への道を登る坊様。大蛇を飛び越え、蛭地獄を通り抜け、やっとたどり着いた深山の一軒家で待ち受ける、怖ろしい出来事とは。萌え出づる緑と、ほとばしる水音、そして渓のもつ不可思議な雰囲気を、感じさせる一編です。何度読んでも、飽きることがありません。

石城謙吉 『イワナの謎を追う』(岩波新書)
 北海道に生息する二種類の岩魚、オショロコマとアメマスの生態について、詳しく記されております。著者は、岩魚を求め、浅瀬の稚魚を手網ですくい、魚止めの滝の上に、さらに糸を垂れるのでした。「種」の分類というと、決まりきったものと思い込みがちですが、様々な考え方があることに驚かされます。

東海近代遺産研究会 編
『近代を歩く ―いまも息づく 東海の建築・土木遺産―』(ひくまの出版)
 釣り場に向かう途中、風格のある橋や建物に出会うことがあります。この書物は、そうした近代の建築物を紹介したもので、長良川の美濃橋・飯田街道の伊勢神隧道・長篠の黄柳橋などが、載っております。幽霊で有名な伊勢神隧道は、道路トンネルとしては古い、明治30年の開通で、飯田街道が重要な交通路であったことが、うかがわれます。

片野修 『カワムツの夏 ―ある雑魚の生態―』(京都大学学術出版会)
 渓流釣りでは、外道として嫌がられるコイ科の魚、カワムツの生態について、書かれております。著者は、魚採りの少年や鮎掛け師の邪魔にもめげず、鋭い洞察と深い愛情をもって、観察を続けるのでした。カワムツを蹴散らすアマゴのお話もありますが、著者はもちろん、カワムツの味方です。

文化庁文化財保護部 編 『木地師の習俗(民俗資料叢書)』(平凡社)
 轆轤(ろくろ)を回して、木椀を作り、山々を移り住む人々。渓流釣りの場所は、そうした木地師の活動地域と、ちょうど重なり合っており、この人々の生活に、私は強く惹かれます。奥美濃・奥三河の、詳細な記録が載っておりまして、なじみの地名も、たくさん登場します。さてさて、木地師の娘は、器量がいいということです。親王という高貴な血筋であること、深山の霊気を吸って生活していることが、その理由だとか…… 人里離れた山中に住む、木地師の神秘性が、そうした噂をつくるのかもしれません。

武田太郎 『谷の思想』(角川書店)
 奥三河・南信・遠州の民俗が、詳しく記された書物です。生命力豊かな、盆踊りの歌詞が載っていますので、ご紹介しましょう。
  今年しゃ十六、ささげの年よ、誰にはつ成り摘ませるだ(根羽)
  今宵来るなら、裏からおいで、表は車戸で音がする(平谷)
  姉もさせるが、妹もさせる、おらも行きたや振草へ(深見)
  好かん野郎に、つんつんされて、機嫌とるよな妾(わし)じゃない(浪合)
私が幼い頃、踊った盆踊りは、味も素っ気もない東京音頭でした。こうした歌詞なら、また踊りの輪に加わってみたいと思うのでした。

井出孫六・市川建夫 編 『信州百峠』(郷土出版社)
 釣り上がると、もうすぐ峠だ。峠の向こうでは、どのような渓や魚との出会いがあるのだろうか。峠は、そんな期待を胸に抱かせます。清内路村には、木曾と伊那の分水嶺をなす、岩魚越峠なるものがあります。その付近は湿地帯で、雨の夜になると、天竜川から木曽川へ、岩魚が峠を越えると言われているそうです。今度、訪れてみましょう。

谷川健一 『日本の地名』(岩波新書)
 奥三河を釣り歩いていると、「御所」という地名に、時折出会います。こんな山奥に、なぜこのような風雅な名前があるのか、不思議に思っていました。本書はこの謎を、山の民の交流という見方から、丁寧に解き明かしてくれます。地名ひとつにも、人々の思いが込められていることがわかります。

宮本常一 『忘れられた日本人』(岩波文庫)
 奥三河、稲武町の南、名倉集落の古老達の話が、「名倉談議」として収録されています。昔の人々の、厳しいながらも充実した生活が、生き生きと伝わってきます。好いたおなごがあれば、名倉から恵那まで夜這いに出掛けたということですから、本当に驚きます。

ノーマン・マクリーン 『マクリーンの川』(集英社文庫)
 ブラッド・ピットが主演した、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』の原作です。著者は、フライフィッシングをこよなく愛し、釣りに関して、しばしば、素晴らしい(ビューティフル)ということばを使います。渓流では、美しい渓魚はもちろんのこと、清冽な水の流れも、萌え出づる谷の緑も、目に入るものすべてが、素晴らしいのです。渓流釣りを讃えるこれ以外のことばを、私は知りません。

つげ義春 『紅い花』(小学館文庫)
 盛夏のある日、山女魚に誘われて、谷沿いの鄙びた村に入る。そこで出会うひとりの少女。人知れず谷に咲き、そして流れゆく紅い花。釣り師が深い谷底に入っていくときにもつ、名状しがたい不思議な感覚というべきものが、この作品には静かに満ちております。

井伏鱒二 『釣場・釣師』(岩波文庫)
 著者は、渓流だけでなく、鯉もやれば、磯もやるのですが、山女魚釣りほど、鼓動の高まるものはないと感慨をもらしています。渓流釣りの面白味とは、餌を流れに乗せることにあると思います。水、そしてそれを含めた自然に溶け込んだとき、魚は飛び出し、私の心は躍るのです。

井伏鱒二 『川釣り』(岩波文庫)
 魚に気づかれないように静かに歩く。そっと餌を投じて、流れる目印に神経を集中させる。魚信に合わせて引き上げれば、大きな山女魚だ。渓流に向かう列車のなかで、まどろみながら、著者は釣りの様子を思い浮かべます。渓流釣りというものは、渓に行かなくても、楽しむことができるのかもしれません。渓師の心のなかには、いつも川が流れているからです。

(2002/3/1)


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