集刊 TOMのコラム釣りと中国古典


孔子様も釣りが好き

 儒教の開祖と仰がれる孔子は、道徳臭いことばかり言って、融通のきかない頑固な人と思われがちですが、のんきに釣りを楽しむ一面もあったようです。

 孔子の言葉を記した『論語』には、「子、釣りして綱せず」という文章があります。「綱」とは、縄に仕掛けをたくさんつけて沈めておき、しばらくしてから引き上げる、はえなわ漁法のことです。魚を一度にたくさん獲ってしまうのは忍びないので、一振りの竿で釣ることを好んだのです。孔子は、相手を思いやる気持ちを大切にしておりまして、そうした彼の心情を伺うことのできるお話です。

 また孔子は、川の流れを眺め、「逝(ゆ)く者はかくの如きか、昼夜を舎(や)めず」と感慨を漏らしています。人も様々な物事も、川の流れのように絶え間なくうつろい、過ぎ去っていくということです。長い人生を歩んできた、ひとりの人間としての彼の思いが、ここに凝縮されているように感じられます。

 渓流の魅力のひとつは、それがいつも絶え間なく流れ続けているということにあると思います。かつて私が糸を垂れ足跡を残した、あの深山の険阻な淵や、あの里山の穏やかな瀬にも、こうしている今でも、変わることなく水は流れ続けています。

 日々の生活で、いやになって気分が滞り気味になったとき、とらわれなく、そして絶え間なく流れ下る渓の水を思い出すと、胸のつかえが取れたような気分になります。流れる渓の水は、私にとって、ひそかな心の師匠なのかもしれません。


初秋の夕まぐれ、川面を見つめて。
(奥三河・寒狭川上流)
(2002/4/24)


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