集刊 TOMのコラム能の詞章と中国古典


道成寺

 鐘入りの直前の緊迫した場面の詞章に、「月落ち鳥(とり)啼いて 霜雪天に 満潮ほどなく 日高の寺の 江村の漁火 愁ひに対して 人々眠れば よき隙ぞと」という部分があります。『三井寺』にも、同じ詞章があるようですが、これは、唐の張継の「楓橋夜泊」という詩を引用したものです。

  月落ち烏(からす)啼いて 霜天に満つ 
  江楓漁火 愁眠に対す
  姑蘇城外 寒山寺
  夜半の鐘声 客船に到る

張継が蘇州の寒山寺を旅したとき、その情景を船のなかから詠んだもので、謡曲では「鳥」(とり)が啼いていましたが、こちらは「烏」(からす)になっています。

 ところで、この詩はいつ頃を詠ったものなのでしょうか。「夜半」とありますから、真夜中なのでしょう。多くはありませんが、烏も夜に啼いたりすることがあるそうです。とすれば、月は夜中に沈むのですから、上弦の半月ということになります。しかし、「月」といえば、通常は満月のことを指しますから、この説は、ちょっとおかしいようにも思えます。それで、烏はやはり「明け烏」のことで、うつらうつら眠っていて、満月が沈む明け方かと思ったら、じつはまだ夜中であった、とする解釈もあります。この詩は、一句目と四句目の意味がぴったり合いにくいので、昔から諸説紛々としていて、いまだに定説がないのです。

 さて、謡曲の方では、一体いつ頃を指しているのでしょうか。鳥は夜中には啼きませんから、やはり明け方なのでしょう。そうすると、月は満月で、西の空の低いところにあることが想像できます…… しかし、この箇所の直前で、入相の鐘が鳴っておりまして、さらに、「人々眠れば、よき隙ぞと」とありますから、晩の寝入り際と解釈するのが適当なのでしょう。ですから余計な穿鑿をして、明け方であると決めつける必要はないように思われます。なにしろ、『道成寺』は花咲く春の話ですが、この詞章は、霜が降りる晩秋から初冬のことで、もともと噛み合ってはいません。

 それでも、この詞章は、鐘入り前の白拍子の強烈な熱情と対をなす、夜の寒冷な空気と深閑とした雰囲気を醸し出していて、本当にぞくぞくしますね。謡曲は美辞麗句の寄せ集めであると誹る人もいますが、たしかに、独自性や整合性を重視する現代では、そうした非難が出ることも頷かれます。しかし、ストーリー展開より、主人公の心理描写を重視する能では、様々な古典の引用によって、イメージを重層的に喚起することが、手法として最も適しているのではないでしょうか。
(2001/5/9)


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