集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


遙か奥三河

 初めて渓流釣りをしたのは、矢作川上流、奥三河は足助の山中であった。新緑の木漏れ陽の下、瀬の開きに定位している小アマゴを見つけて、目の前に餌を落としたところ、ぷいと逃げられてしまった。しかたなくよどみに糸を垂らし、アブラハヤを釣っては喜んでいたものである。

 そんなこんなでも、毎週通ううちに餌の流し方も覚え、ちょぼちょぼとアマゴや岩魚が掛かるようになってきた。そして翌年からは、毛鉤釣り(テンカラ)を始めた。石裏から飛び出してくる渓魚の勇姿に魅了され、それからというものこの釣りに没頭している。

 奥三河は、愛知県東部、千メートル前後の山々からなる、穏やかな山間地域である。そのため江戸時代から植林が行われ、戦後の林業は隆盛を極めた。ほとんどの渓には、伐採のための林道が作られたおかげで、遡行が困難という箇所は少ない。

 私は人界を離れた険阻な幽谷よりも、こうした穏やかな渓が好きなようだ。そこには昔からの営々と続いてきた山家の生活を、見ることができるからである。渓を遡行して最奥の集落に着く。藁葺き屋根にトタンをかぶせた旧家、裏山の谷水を引いた洗い場、そして猫の額ほどの田圃には、青々とした稲が涼風になびいている。こうした風景には、自然とともに生活する人々の思いというものが、そこかしこに染みついていて、それが私には心地いいのである。

 今は遠く離れてしまったが、目を閉じさえすれば、あの瀬この淵の傍らに、すぐさま立つことができる。奥三河は初めて竿を振った山河として胸に焼きつき、けっして消えることはないだろう。


●足助町金蔵連

<付近の渓>

<アマゴが釣れた>
 最初に釣りをした渓です。金蔵連(こんぞれ)は、矢作川支流神越川最奥の集落。古地図には、「金沢上」とあります。「うれ・うえ」は、最上流の意味と思われます。金鉱があるという説は、本当でしょうか。綾戸の平勝寺で行われる、夜念仏と鳴り物の入らない盆踊りを見物すれば、静かな山里の雰囲気を味わうことができます。

●設楽町宇連 

<林鉄の橋脚に腰掛けて>

<レールが欄干に>
 宇連(うれ)は、寒狭川支流大名倉川最奥の集落。昔、森林鉄道が通っていたとき、田口まで買い物に行くのに乗っけてもらったと、集落の人が話してくれました。

 ●根羽村小戸名 

<付近の渓>

<飯田旧街道分岐点>
 奥三河ではなく南信になりますが、川筋としては矢作川上流です。漁協事務所に釣り券を買いに行ったら、漁協のおじさん、餌は何だと訊いてくる。ブドウ虫だと答えたら、だめだめ今は川虫じゃんねーと言い、これで大岩の下を撫でて虫を捕れと、ヘチマたわしを切り分けてくれた。やさしいのん。

●平谷村うつぼ  

<毛鉤釣り>

<木地師墓>
 こちらも南信、矢作川の最上流部、標高は900メートルの高地です。名前のごとく、開けた広くて明るい谷であります。武田信玄の設置した関所跡や、木地師の墓があり、戦国・江戸時代当時の街道筋の様子を彷彿とさせます。支流の合川・柳川の最深部は、源流ムード満点です。

(2004/6/26)


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