集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


ひらり、きらり

  一口に毛鉤釣りと言っても、様々な釣り方があって、人それぞれの好みがある。私は毛鉤を水面下10センチ程度沈めて流すのが好きである。こうすると魚は岩陰から出てきて、ひらりと身を翻し、きらりと白い横っ腹を見せて毛鉤に食いつく。水の中なので、食いつきぶりが穏やかであり、それが私にとっては心地よい。

 毛鉤が見えないほど沈めてしまっては、テンカラではライン、フライではインジケーターで魚信をとることになり、魚が飛びつくところが見えず、あまり面白くない。もう釣りは終わりで、大淵で粘るというようなときは、最後に沈めてみるといった具合だ。

 沈めることに比べたら、魚が見えるドライの釣りの方がもちろん好きである。羽虫が飛び交って、あちこちで魚がライズしているようなとき、また水面下が見えにくい遠い場所に毛鉤を落とすようなときは、迷わずドライフライを結ぶ。

 静かに漂うフライ、突然水面が割れてぴしゃりと飛び出してくる魚、たしかに興奮する面白い釣りである。しかし激しくライズする魚の姿は、感情を荒立てて激昂しているようで、私はちょっとだけ嫌な感じがするのである。あるいは、恥ずかしい行動を人前にさらした所を偶然見てしまったような、何か気まずい感じがするときもある。

 魚にしてみれば、水面上で飛びつこうが水面下で食いつこうが、それほど変わりはないのかもしれない。ただ、そうした感じ方を、魚に押しつけているだけである。裏を返せば、感情を荒立てたり、恥をさらしたりすることが、大嫌いだということを表明していることになるのだろう。

 ということで、ドライの釣りは興奮はするものの、ちょっと後味が悪いのである。ハックルを少な目に巻いた沈みがちな毛鉤に結び直す。水底から魚がひらりと出て、きらりと白い腹を光らせる。私にとっての、穏やかで満たされた釣りの瞬間です。

ほの暗い水の中から、きらり
(2007/12/29)


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