集刊 TOMのコラム能の詞章と中国古典


邯 鄲 その2

 能『邯鄲』は唐時代の『枕中記』という伝奇小説をもとに作られています。

 能では夢のなか主人公は皇帝となり、さらには不老不死の身体まで手に入れます。しかし『枕中記』の方では、主人公は官僚となり、その最高位である宰相という地位につくだけです。能の方がずいぶん壮大なお話になっているというわけです。

 さて、「科挙」と呼ばれる官吏登用試験は、階級にかかわりなく門戸が開かれており、高級官僚ともなれば給与や賄賂による収入で、孫の代まで一族全員遊んで暮らせたということです。

 ですから官僚となって宰相にまで登り詰めることは、庶民にでも現実可能な出世街道なのです。しかし試験は難関ですし、また官僚となっても宰相になることはそう簡単なことではありません。それはやはり夢のようなことなのでしょう。

 能のように主人公を皇帝にする方がスケールが大きくて、物語としては面白いように思えます。しかしそれでは当時の唐王朝に刃向かうことになってしまいますから、そのようには書けなかったのかもしれません。海の向こうの中国のお話ですから、日本では好きに脚色してかまわないようですね。

 ところで、秦の始皇帝が不老不死の妙薬を探させた方士を盧生と申しまして、偶然にも主人公と同じ名前です。『邯鄲』の作者がそのことを知っていて、主人公に永遠の命を与えたのでしょうか。それは謎に包まれたままなのです。
(2002/12/1)


【追記】
 『枕中記』では、盧生は立身出世して富貴名声を得ようとする野心家なのですが、謡曲では人生に迷うという哲学的な青年像になっています。また謡曲では、粟飯が炊きあがるまでの時間を、五十年の夢に当てはめていました。しかし『枕中記』では、夢から醒めてもまだ黍飯が蒸し上がっていなかったという設定になっており、より夢の時間の短さが強調されたお話になっております。
(2007/8/28)


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