集刊 TOMのコラム能の詞章と中国古典


菊慈童

 周の穆王が、枕に法華経の文字を書いたおかげで、菊慈童は菊の葉より滴る薬の水を手に入れ、700歳の長寿を得たことになっております。ふむふむと頷いて、流してしまえば、それまでなのですが、実際の歴史とは違いがあるのです。

 周の穆王は、紀元前1000年頃の王様であります。魏の文帝の使者が菊慈童と出会ったのは、紀元後220年頃なので、菊慈童の年齢は1200歳ということになります。

 中国古典をひもといてみると、菊慈童のお話を見つけることはできないようです。ただ、しばしば彭祖という長寿の仙人が出てきまして、その齢が、7、800歳と言われております。菊慈童の年齢は、この彭祖の言い伝えの影響があったものと思われます。『養老』『俊寛』には、彭祖と薬水のお話が出てきますね。

 さて、もうひとつは、周の穆王が法華経の文字を書いたというところです。仏教が中国に伝来したのは、後漢の明帝の頃(後67年)ですから、周の穆王は、まだ仏教を知らないはずなのです。ましてや、釈迦は前4、500年の人ですから、仏教すらなかったのです。しかしこれは、現代の歴史学のお話で、古代の日本では、釈迦は前900年頃に活躍したことになっておりましたから、あながち間違っているとも言えないようです。

 いろいろ、揚げ足取りのようなことを言ってしまいましたが、菊慈童は、気に入った曲のひとつであります。それは、私が渓流釣りを好み、深山に足を運ぶことが多いからかもしれません。竿を休めて飲む谷水は、ほんとうに美味しく、喉ばかりでなく心も潤してくれます。まさしく、薬の水なのであります。
(2003/11/30)


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