集刊 TOMのコラムオートバイに昂ぶる


ふと、オートバイに気づく その2

 オートバイのことが気にかかるようになると、昔のオートバイに関する記憶が、次々と甦ってくるものである。

 私の家に出入りしていたトタン職人は、2ストロークの実用車に荷物運搬用の側車をつけ、白い煙を吐いてやってきた。地下足袋に脚絆を巻き、陽に焼けた禿げ頭の職人は、私のことを、「ぼうず」と呼んだ。立ちこめたオイルの甘い匂いとともに、私ははじめて、ワイルド!という感覚を受けとめた。

 小学生のとき、近所のそば屋のカブに乗せてもらったことがある。自分から乗りたいと申し出たわけではないのだが、乗らないかと言うものだから、快くうんと首を縦にふった。それでおじさんに抱きかかえられ、家まで百メートルくらい走ったのであるが、自転車しか乗ったことのない私には、その速さと力強さは驚異であった。

 また、酒屋の息子で、兄さんがバイク乗りの友達は、私にスズキのサンパチの美点を得々と説明してくれた。あるとき、その兄さんが乗っている、CB250のエンジンフィンに触ろうとしたら、友達は火傷するぞと強く私をたしなめた。オートバイは、その空冷フィンの美しい造形とはうらはらに、結構危ない乗り物なのだと思った。

 高校の友達は、RZ250に乗っていた。じゃあねと別れを告げると、猛烈な加速で背中のシャツを翻し、青空の向こうに消えてしまった。なぜかわからないけれど、なんだかもの悲しい感じがあとに残った。

 こうした出来事を通して、オートバイには興味をもっていたのであるが、乗ってみようとは思わなかったし、生涯乗らないだろうとさえ思っていた。しかし、不思議なもので、オートバイに乗るようになってしまった。やらないと思っていたことを、やるようになること、ひょっとすると、それは人生の楽しみのひとつと言えるのではないだろうか。計画通りに進む人生ほど、つまらないものはないのかもしれない。予期しない出会いは、不安こそあれ、新しい自分を発見する鍵となるものである。

 あのトタン職人は、すでに引っ越してしまい、姿を見なくなった。そば屋のおやじさんは、もう年老いて店をたたんでしまった。酒屋の友達は、あれから免許をとり、バイクに跨っているのだろうか。高校生のときの友達は、RZの強烈なアクセルレスポンスを、今もその右手に覚えているのだろうか。今はもう遠くなってしまった人達だけれど、オートバイの醸し出す雰囲気とともに、私のなかにそっと息づいているのである。
(2000/8/23)


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