集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


ナ イ フ

 その日は、まったく釣れなかった。よい渓相に期待して、糸を垂らしても、上流から水着の子供達がバシャバシャと下ってきたりした。また、せっかく大物が掛かっても、気を抜いた瞬間に、下流の大岩の下に逃げ込まれて、糸を切られたりした。

 それでも、夕まぐれ、堰堤の近くでようやく良型を一尾釣り上げて、ひと安心した。もう納竿しようと思い、ナイフを取り出して魚の腹を割いた。しかし、ふと見上げてみると、堰堤下には大きなプールがあって、また一尾釣れそうな予感がする。もう薄暗くなっているので、いそいで魚をビニール袋に収め、また竿を伸ばした。

 ナイフをしまうのを忘れてしまったのは、このときであった。翌日の夜、ナイフの手入れをしようとして、はたと気がついた。すぐさまエンジンをかけて、深夜の国道に飛び出した。往復のガソリン代に少し足せば、新しいナイフが買えるのだけれど、あのナイフがまた手元に戻ってくるという幸運に、賭けてみようと思った。

 朝靄のなか、堰堤下に行ってみると、ナイフはあった。あとから入った釣り人は、持ち去ることなく、刃を閉じて、近くの岩の上に置いてくれたようだ。

 誰かはわからないが、その釣り人の思いやりで、私のもとにナイフが戻ってきた。そのおかげで、私も誰かわからない人のために、何かをしたいと思うようになった。そしてその相手もまた、誰かわからない人のために、何かをしたいという気持ちになったとしたら、それはとてもいいことだと思う。

 このつながりによって、世界平和を実現しようなんて魂胆は、さらさら持ってはいないけれど、自分のものを盗まれて、その腹いせに人のものに手をつけるより、ずっといい。このナイフを取り出すと、いつもそう思うのである。 
(2001/11/22)


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