集刊 TOMのコラム能の詞章と中国古典


項 羽

 垓下の戦い、劉邦軍の追っ手が迫るなか、項羽は最期を悟り、愛する虞美人に詩を捧げるのでした。司馬遷の『史記』に、その詩が載っております。

    力 山を抜き 気 世を蓋(おお)うも
    時に利あらず 騅(すい)逝かず
    騅の逝かざるは 如何(いかん)すべき
    虞や虞や なんじを如何せん

力を誇って、覇王となったが、今は時勢がそれを許さず、名馬の騅も歩みを止めてしまったようです。虞美人がこれに唱和したところ、項羽の目からは涙がこぼれ、左右の者もそれを聞いて、袂を濡らしたのでした。

 こののち、虞美人はどうなったのでしょうか。『史記』には、何も書かれてはおりません。そして、一般に広く伝わっている物語は、項羽の剣によって命を絶たれる、あるいは、自刃するというものでありまして、京劇などでもそれを見ることができます。

 しかし、能『項羽』では、虞美人は「身を投げ空しくなり給へば」とあるように、高楼から身投げし、自害したことになっております。これは、そのような伝承があったのか、あるいは作者が創作したものか、よくわかりません。

 虞美人が剣によって命を絶つと、自分の首を自分ではねる項羽と、剣による最期という点で重なってしまい、能の物語の構成上、つまらなくなってしまうようにも思います。また、高楼に見立てた一畳台から飛び降りる方が、イメージが膨らみ、能としては面白味があるのかもしれませんね。

 さて、虞美人が亡くなってから、項羽が敵に向かっていくところは、圧巻であります。昔の武士達は胸高鳴らせて、見入ったことでありましょう。私は、こうした軍記物を見ると、高校時代の体育祭の騎馬戦を、いつも思い出します。夕陽に染まったグラウンド、逆転を掛けた大勝負、緊張と武者震い。鬨の声とともに、「いで物見せんと、みづからかけ出で」て行った瞬間の、あの恍惚感は、今でも忘れがたいものであります。
(2003/11/18)

【追記】
 実際の戦で白刃の下に身を晒したり、あるいは平和な世であっても常に死を意識した生き方をしていた武士達にとっては、修羅物は強い実感を伴った演目だったものと思います。どうやって長生きしようかと考えているような自分には、到底わからない世界かもしれません。連想するのは、せいぜい運動会の騎馬戦レベルの緊張感かと思うと、苦笑いしてしまいます。


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