集刊 TOMのコラム能を味わう


能を見ること

 能管の音が好きなので、能楽堂に足を運ぶのであるが、謡や仕舞に関しては、稽古したことがないので、その良し悪しはわからない。したがって、通好みの批評を聞いても、どうもピンとこないのである。しかし、そうした私でも、シテやワキの所作に心を動かされることがある。

 「松風」を見ていたとき、以前親しかった女性の表情が、面に浮かび上がったことがあった。「海士」では、私の母の心配そうな表情が思い出された。また、最近めっきり年老いた父の顔つきを、「景清」のなかに見出したこともあった。表情だけではなくて、四季の情景も思い描くことがある。「田村」では、満開の桜のなかに自分が座っているように思えたものである。こうした表情や情景は、以前自分がどこかで実際に見たものであり、それが思い出されたものであろう。

 最近はCG映画がたくさん封切られている。現実にはなかなか見ることのできない映像をよりリアルに表現することを、眼目としているのだろうけれど、私はこれらに対して関心が薄い。実際に自分の目で見たことがないものは、どうも嘘くさいと感じてしまうのである。まだ若僧だけれど、それなりに歳をとったし、それなりの経験もしてきた。そうした経験を再び甦らせ、しっかりと定着させる作業が、とりもなおさず、私の能の見方なのである。
(2000/9/3)


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