集刊 TOMのコラム能管を吹く


能管の音

 はじめて能管の音に触れたのは、高校生の頃であった。緩慢な動作の登場人物や低い声で唸る地謡には、眠くなるばかりであったが、ただ笛の音だけは例外で、強く惹かれるものがあった。切り裂くようなヒシギの高音や、悲哀を醸し出すアシライの音色は、今まで接してきた音楽といわれるものとは明らかに違っていた。

 昨年、ふとこの記憶を思い出し、能管を吹き始めた。それから飽きもせずに吹き続けていられるのは、その音が、自分のからだのなかを流れる「自分の音」というものに、近いからであろう。同じ横笛のフルートや、また同じ和楽器の尺八には、この「自分の音」は存在しておらず、どうしても吹く気にはなれない。

 風の吹きつける霧の山稜、テントで過ごす深山の夜、そして孤独に歩む都会の雑踏。そうした場所で、自然と笛の音は聞こえてくる。そしてじっと耳を澄まし、「自分の音」を味わうのである。
(2000/8/9)


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