集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


再 会

 最初にアマゴと出会ったのは、暇にまかせて近郊の低山を歩いていた、大学生の頃である。このときはじめて谷詰めの道を登ったのであるが、眺めのよい爽快な尾根道とは違い、樹木が覆いかぶさった谷は陰鬱な雰囲気で、すぐに気が滅入ってしまった。道々、誰かに見られているような気もした。振り返って確かめるのだが、そこには誰もいないのである。

 それでも心惹かれたことがあった。小休止のとき、目の前の小淵に5寸ばかりのアマゴを見つけたことである。体側にはきれいな斑紋が並んでおり、上流に頭を向けて静かに定位していた。堰堤が多く急峻で水量の少ないこの谷でも、魚はしっかりと息づいているのである。恐る恐る近寄ってみると、そいつは岩の下にさっと隠れてしまった。

 結局暗い気分がすべて晴れることはなく、そのうち頭痛と吐き気が襲ってきて、急いで山を駆け下らねばならなかった。谷の霊気にあたったのであろうか、それから三日間熱を出して寝込んでしまった。もう谷詰めはごめんであったが、アマゴの姿だけはいつまでも頭の片隅に残っていた。

 あれから10年以上のときが過ぎ、どういうわけか渓流釣りをはじめ、しだいに谷の霊気にも慣れてきたようである。そして晩夏のある日、もう一度あの谷に出掛けてみたいという気持ちになった。もちろん今度は釣り竿を携えてである。

 考えてみると、歳をとるということはまんざら悪いことでもないようだ。10年以上の歳月を経てはいるが、自然とアマゴに再会することができたのである。心のうちに秘めたものには、いずれ出会うことができる。あの谷のアマゴを思い出すと、そんな穏やかな気持ちにさせられるのである。
再会した鈴鹿山脈のアマゴ。
透き通った肌が美しいです。
(2001/11/11)


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