集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


先 生

 高校時代の生物の先生は、無類の釣り好きであった。夏休みには愛用の革製重登山靴を履き、大きなキスリングを背負って、黒部や南アルプスの源流部に単独行で岩魚釣りに出かけていた。

 そして2学期最初の授業では、必ずといっていいほど夏の釣行についての土産話をしてくれた。滝壺から尺上の大岩魚を何本も上げたこと、ザイルを出して増水した流れを渡渉したことなど、興味深い話は尽きることがなかった。先生は目を爛々と輝かせて、いかにも楽しげであった。

 また卒業文集などにも、釣行記を載せるのが常のことであった。それは釣りを交えた随想というような生半可なものではなく、行程・時間・釣果を細かく書いた正確な記録というべきもので、先生の実直な性格を表していた。

 あるとき生徒の一人が不慮の事故で亡くなったことがあった。「今日の授業はやめにして、一時間、心のなかで彼のことを考えて過ごしましょう」 いつもニコニコして、笑顔を絶やさない先生であったが、このときばかりは沈痛な面もちであった。人の死など重く受けとめられない歳頃の私は、暇を持てあましてしまい、先生の顔になんとなく目をやった。すると窓の外を眺めておられた先生の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと出てきて、頬を伝って床に落ちるのが見えた。

 先生とはあまり話すことなく卒業してしまった。今会えば、同じ釣りという趣味もあり、もっとたくさんの話ができるかなと思ったりもする。先生という職業は、不思議なものだ。生物の授業は全部忘れてしまったのだが、先生の釣りについて話すときの笑顔と、生徒の死に流した大粒の涙だけは、今もしっかりと覚えている。

 久しぶりに、あの釣行記をひっぱりだして、あせたページをめくってみることにしよう。紙の上のことだけれども、先生と一緒に黒部の源流釣りを楽しむことができそうである。
(2002/12/7)


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