集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


単純明快

 毛鉤を水面にひょいと打ち込む。毛鉤が流れに乗る。岩陰から、急に魚が飛び出して、毛鉤をくわえて反転する。魚の白い腹が、一瞬きらりと光る。あわてず、手首をさっと返して魚を掛ける。竿を天高くかかげて魚を寄せると、足下には美しい魚体が横たわっている。

 毛鉤釣りは、とても明快な釣りだ。毛鉤を打つ、魚が出る、魚を掛けるという、まったく簡単な手順の釣りである。魚が、水面近くで毛鉤をくわえるところを見て、引っ掛けるのであるから、わかりやすいことこのうえない。

 餌釣りでは、水面下の見えない相手を想像するところに、面白味があるのだろう。目印のわずかな動きに合わせをくれて、良型が姿を現したときなどは、やはりうれしいものである。

 普段の生活でも、ちょっとした物言いや行いから、相手の気持ちを汲むことは、大切なことであろう。相手と気持ちが通じ合えたときは、とてもすがすがしい気分になる。けれども、ときどき他人の胸の内を推し量ることに、ひどく疲れてしまって、ひとり気ままに過ごしたいものだと思うこともある。

 私が毛鉤釣りを好むのは、そうした気ままな思いの現れでもあるようだ。せめて釣りのときだけは、打つ・出る・掛けるという、単純明快な作業に身を託して、気軽な心持ちで遊びたいのかもしれない。


新緑の頃の、毛鉤釣り。
山にも渓にも、生命の息吹を
感じる、素晴らしい季節。
(初夏、奥三河・矢作川上流)
(2003/3/5)


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