集刊 TOMのコラム能の詞章と中国古典


天 鼓 その2

 『天鼓』の冒頭部、天鼓に先立たれ、悲しみに暮れる父親は、「伝え聞く孔子は鯉魚に別れて、思ひの火を胸に焚き」と述べ、我が子を亡くした孔子と自分とを重ね合わせます。

 孔子の息子の名前を鯉魚と呼んでいますが、詳しくは「名」を鯉といい、「字」(あざな)を伯魚といいます。この息子が生まれたときに、君主から魚のコイを賜ったので、このような「名」と「字」をつけたという逸話も残っているようです。

 さて、この「字」というものは、男子が元服したときにつける呼び名で、これは「名」を尊ぶという考え方からきています。ですから、友人などの他人は当人を呼ぶときに、わざわざ「名」を避けて「字」を使い、親または君主だけが、特別に「名」を呼ぶことができるのです。

 それで、正確には鯉伯魚となるわけですが、実際、「名」と「字」を同時に呼ぶということはないので、後世の、それも中国から見れば東海の小島に住む日本人は、鯉と呼べば足りると思われます。鯉魚と呼んでいるのは、謡のリズムにのりやすいという理由によるのかもしれません。

 余計な穿鑿は別にしまして、天鼓の父親がこの詞章を唱えながら登場するところは、悲しみが凝縮されていて、見ていてぞくっとしますね。登場場面というものはとりわけ重要で、ここで観客を惹きつけることのできる役者は、本当にいいシテ方だなあと、私は思うのであります。
(2001/4/25)


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