集刊 TOMのコラム渓流に遊ぶ


釣り姿

 梅雨の初めの頃であっただろうか、少しむっとする空気のなか、小雨が降り続いていた。いつもの好みの場所より下流部に入渓してみることにした。この辺りはカワムツが多いので敬遠していたのだが、今日は雨だし開けた明るい場所でのんびり竿を振ってみたいと思った。渓に降りたって辺りを見ると、砂地には今日あるいは昨日と思われる二人ほどの足跡が残っていた。釣果は望めないかもしれないが、今まで入ったことのない場所だったので、散歩がてら釣ることにした。

 予想どおり何も釣れず、退渓点から橋を渡って川沿いの林道を歩いてきたとき、渓にひとりの初老の釣り人を見つけた。それもテンカラ釣りをしている。どんな釣りをするのか気にかかった。テンカラ釣りをする人は少ないし、その釣り方も様々だからである。とくに初老の釣り人であれば、それまでに築き上げた自分なりの釣り方というものがあるはずだろう。

 釣り人は背筋を伸ばして、長めの撚り糸のラインをぴしゃりぴしゃりと強めに打っていく。竿先はほぼ水平な位置で止まる。ちょうど剣道の素振りをしているような凛とした強さが感じられる。打ち込まれた竿先はそのままの上がりも下がりもしない。上流に向かって釣っているのであれば、竿先はもっと上で止まり、毛鉤が流れるに従ってさらに上がってくるはずだし、誘いをかけているのならば、竿先はゆらゆらと上下するはずだ。多分、ポイントの真横に立って誘いなしで流しているのだろう。毛鉤は1個のようだ。

 再び林道を歩きながら考えた。自分の釣りはどうかというと、上流に向かって背をかがめて岩化けし、こちらの筋あちらの筋、巻き込みをしつこく流し、それでだめならちょんちょん誘ったりしてまったく落ち着きというものがない。あの釣り人のように背筋を正して力強く毛鉤を打ち込み、小賢しい誘いなどしない堂々とした釣りが、ちょっと羨ましく感じられた。

 次の橋のたもとまで来ると、その釣り人のものと思われるトヨタの白色のセダンが停まっていた。ふと車内に目をやると助手席には奥さんらしき人が坐っていた。奥さんをクルマにひとり残して釣りをするというのもどうかと思ったが、それは夫婦の問題でとやかく言うことではないかもしれない。その人は雨に煙る山の端を飽きることなく静かに眺めていた。その様子を見たら、堂々と力強く毛鉤を打ち込む男とそれを静かに待つ妻、それがなんとなく微笑ましく思えるようになった。

 あの釣り人、魚は釣れただろうか。持って帰った獲物にふたりで喜ぶ夫婦の姿を思い浮かべながら、小雨そぼ降る林道を歩いた。

奥三河・寒狭川上流
 
(2010/7/7)


次へ
inserted by FC2 system